この日も朝から天気は上々です。
午後から雷雨の予報もありますが。
ここの朝食はバイキング形式でした。
少しづつたくさんの種類を頂きました。
さて、この日のメインは「平泉」です。
先ず、宿から10分ほどの達谷窟毘沙門堂にやってました。
よくテレビの旅番組で取り上げられる場所です。
岩の中にお堂がめり込むように建てられています。
東北の各地には、坂上田村麻呂の伝説?が数多く残っています。
ここもその1つで、蝦夷征伐の記念として801年に建てられたお堂です。
高さ16mもある摩崖仏です。
平安時代の前九年の役、後三年の役の戦没者を供養するために作られたそうです。
明治時代の地震で胸から下が崩落したため、現在の姿になっています。
毘沙門堂の前に建つ弁天堂です。
周囲に池を配して、とても美しいお堂です。
次に、毛越寺(もうつうじ)を訪れます。
2011年に世界資産に登録され、また、庭園は特別名勝に指定されています。
毛越寺はこの後に訪れる中尊寺と同じ850年に建立された記録があります。
その後、奥州藤原氏の手厚い保護のもと、壮大な伽藍が整備されました。
この本堂は明治期に再建されたものですが、
薬師如来を本尊とする立派な建物です。
蓮の花です。
極楽浄土を象徴する花が今を盛りに咲いていました。
特別名勝に指定されている庭園です。
建立当時は池に橋が架かり、対岸には立派な伽藍があったそうです。
先ず、参道である月見坂の急坂を登ります。
真夏の時期だったため、汗だくになりましたが、
涼しい時期でもこの坂道はきついと思います。
参道脇は立派な杉の大木が聳えています。
今回平日の旅行のため、訪問した場所にはそれほど観光客は多くなかったですが、
中尊寺だけは別格でした。海外からの観光客や社員旅行など大勢の人がいました。
地蔵堂です。
中尊寺では多くのお堂で御朱印が受けられます。【全部で13体も】
数が多くて大変なので、その中でも直書きしてもらえる6カ所に絞りました。
(直書き以外は、書置きと言って御朱印帳に糊で貼るタイプです)
中尊寺とは、この山全体の総称です。
本寺「中尊寺」と山内17の支院で構成される一山寺院となります。
ここが中尊寺の本寺の本坊表門となります。
本堂です。
この内部で有り難い説法(お話し)を聞かせて頂きました。
本尊は像高2.7mの釈迦如来像です。
本尊の前の両脇に、比叡山延暦寺から分けられた「不滅の法燈」があります。
峯薬師堂です。
「め」にご利益があると有名なお堂です。
至る所に「目」「め」の旗や絵馬があります。
松尾芭蕉の碑です。
芭蕉は、源義経が自害し、奥州藤原氏が滅亡してから500年にあたる1689年に
平泉を訪れています。よく知られる「奥の細道」の旅です。
ここ平泉では2句が残されており、1つは有名な「夏草や 兵どもが 夢の跡」です。
もう1つは「五月雨の 降り残してや 光堂」です。
光堂は「金色堂」のことで、当時も金色に輝いていたのでしょう。
この直前に金色堂を見てきました。残念ながら撮影禁止です。
当時、東北の地にこれほど煌びやかなお堂があったことが驚きです。
予定よりも大幅に時間超過しましたが、ほぼすべてのお堂を廻りました。
下山時に参道横の「そば処 義家」でわんこそばを頂きました。
その後、宿までの高速道路で、土砂降りの雨に3回も遭遇です。
1回は前が見えないほどの降り方でした。
すぐにPAがあったので、躊躇わずに休憩しました。
宿の少し奥に有名な神社があると聞いて訪ねました。
秋保(あきう)神社と言い、「勝負の神」としてとても有名です。
この1つ1つの幟は、全国のアスリートが奉納したようです。
地元の羽生結弦選手や楽天イーグルスの選手など多くの方々が参拝しています。
東北旅行最後の宿です。
17時過ぎに到着しましたが、外は雨は降っていたので散策は中止です。
温泉に入り、ゆっくりと夕食を頂きます。
最終日が一番豪華でした。
本当に食べきれないほどの料理でした。
翌日は午前中に仙台市内を散策して、仙台港からフェリーに乗ります。
台風10号が迫っているので、外海のうねりが心配です。
まずは、フェリーが無事に出航してくれないと大変なことですが。
つづく。
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