近江八幡市を少し散策します。
近江八幡は、豊臣秀次(秀吉の甥)の築いた城下町です。
近江商人で有名な商業都市として発展しました。
現在も碁盤目状の街並みが残っており、
中心部は「伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
八幡堀という琵琶湖に繋がる水路です。
「近江八幡の水郷」として、重要文化的景観の第1号に選定されています。
舟は観光客を乗せて遊覧しています。
近江商人の信仰を集めた、日牟禮(ひむれ)八幡宮です。
丁度、七五三の時期なので、着物姿の女の子が両親とお参りしていました。
参拝後に御朱印を頂いてきました。
お昼ご飯のお店を探して、散策を続けます。
この遊覧船の船長さんは、まだ若い女性でした。
家内の要望もあり、近江牛の昼食となりました。
私には少し量は少なかったですが、大変美味しく頂きました。
近江八幡にはもう1つ有名な建造物があります。
ヴォーリズ建築と呼ばれる西洋建築です。
その1つの「旧八幡郵便局」です。
昼食後は少し離れた「安土城跡」にやって来ました。
標高200mほどの緑豊かな小山です。
ここに安土城があったとは想像するのは難しいです。
入り口から先に入るには、入場料金700円に加えて、
400段を超える石段(往復2時間)が待っています。
流石に登山までは考えていなかったので、下部の遺構を見て満足としました。
最後に、安土城跡から車で数分の「セミナリヨ趾」を訪れます。
ここは安土城と同時期にあったキリシタン神学校の跡地です。
イタリア人宣教師オルガンチノにより1581年に建設されました。
織田信長も度々訪問した記録があるようです。
「本能寺の変」後に、安土城とともに焼失しました。
現在はその一部が公園として整備されています。
約7時間のプチ旅行は終了です。
天気に恵まれて良かったです。
40年以上、実家の前を流れる川と共に生活してきました。子供の頃の公害での汚れから再生し、いろいろな生物が棲むに至った現状を記録に残そうと思い立ちました。心無い業者や乱獲による生態変化を防止する目的で、河川の名前、詳細な場所の掲載は控えさせていただきます。また、川の事故が多く発生しています。川へ小さな子供さんを連れて行かれる方は、自分が楽しむだけでなく、子供さんの監視もお忘れなく!
2019年11月12日火曜日
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